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2008年12月28日 - 2009年1月3日

セシリア・チャン(アジアンビューティー)

<新春特集・08年のスキャンダラスな女たち・3>「わいせつ写真」流失で離婚危機に―セシリア・チャン(Record China)

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このシリーズでは、08年に様々な話題を提供してくれた、中華圏の女性有名人10人を紹介する。3人目は女優のセシリア・チャン。夫ニコラス・ツェーとの間に長男をもうけたものの、エディソン・チャンとのベッドでの写真がネット上に流失し、夫婦は離婚の危機に。
このシリーズでは、08年に様々な話題を提供してくれた、中華圏の女性有名人10人を紹介する。

3人目は女優のセシリア・チャン(張柏芝)。1980年5月24日生まれ、香港出身。代表作は「星願~あなたにもういちど~(1999)」、「少林サッカー(2001)」など。06年に人気俳優のニコラス・ツェー(謝霆鋒)と結婚、07年には長男ルーカス君をもうける。

デビュー当時は正当派美少女アイドルだったセシリアだが、その後は数々の恋愛スキャンダルを巻き起こし、ニコラスとの結婚も、当時彼が交際していたフェイ・ウォン(王菲)との間に割って入った末のものだった。

08年1月末、俳優エディソン・チャン(陳冠希)とのベッドでの写真が、インターネットに大量流失してしまった。本人が写真を「本物」と認めたとされ、夫婦は離婚の危機に。その後も夫婦円満説や第2児妊娠説など、様々な憶測が飛び交い、香港芸能界に大きな話題を提供している。(原稿/MY)
(nifty)

2ちゃんねる譲渡!?

 世界最大の掲示板といわれる「2ちゃんねる」が、ついに日本を捨てた-。2009(平成21)年が明けて間もない正月2日、2ちゃんねる開設者の「ひろゆき」(西村博之)氏が、自身の公式ブログで“2ちゃんねる譲渡”を報告した。譲渡先はシンガポール共和国の法人と思われる。(立川優)

 2ちゃんねる譲渡が報告されたのは、「ひろゆき日記@オープンSNS」。2日の午前7時7分の刻印で、「2ch譲渡」と題したエントリには「そんなわけで、去年は何度も海外出張して2ch譲渡の打ち合わせをしてたりもしてたんですが、ようやく譲渡完了しましたよ。。と。」と書き込まれている。また、「現在のヒトコト」として 「ズサー」という言葉と、2ちゃんねるを象徴するアスキーアート「モナー」を添えており、書き込み時間の「21(年)1(月)2(日)7(時)7(日)」という反復・ぞろ目のアナグラム設定は、「ひろゆき」氏の“大したこと無いよー”的な表現のようだ。

 譲渡先は「PACKET MONSTER INC. 」とされており、これについての詳細な説明はない。ただ、2ch.netのドメインを所有しているのはwhois上でもシンガポールの「PACKET MONSTER INC. PTE. LTD.」となっており、形式上だが2ちゃんねるの所有権が「ひろゆき」氏の手を離れた。2ちゃんねるの所有権はこの数年、匿名書き込みをめぐる中傷・削除問題や損害賠償請求訴訟の点から幾度も“譲渡のうわさ”が流れていた。

 また、書き込みを保存するサーバー自体はアメリカ合衆国にあり、従来、2ちゃんねるガイドに添えられていた「書き込み削除の最終責任は管理人ひろゆきにあります。 」という表現自体も削除されていることから、訴訟などの諸問題を解決するための“仮想法人”への“仮想譲渡”である可能性が濃厚だ。ただ、今回の“外国への譲渡”が、書き込みをめぐる名誉棄損訴訟や法務省、警察庁など“ネットを取り締まる”官庁にも相当の影響を与えると思われる。

 2ちゃんねるは1999年、当時流行していたアングラ掲示板の“避難所”として設立された。「スレッドフロート式」と呼ばれるシステムが特徴で、新しい書き込みが多い掲示板(スレッド)、つまり“ネット上でもっとも盛り上がっているスレッド”ほど自動的にページトップに浮き上がる仕組み。ADSLが登場し、インターネットが常時接続時代に入った2000年、佐賀県で「西鉄バスハイジャック事件」が発生し、容疑者の少年が「ネオむぎ茶」という固定ハンドル名で2ちゃんねるに“犯行予告”を書き込んでいたらしいことから脚光を浴び、同年、Yahoo! JAPAN(ヤフー!ジャパン)にも登録され、国民的な人気サイトとなった。
(YAHOO!JAPAN)

甲冑パンツ!?

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 包帯の生地をベースにした「包帯パンツ」の新シリーズ。戦国武将が身を守るために装着した「甲冑(かっちゅう)」をモチーフにした。サイズはM、Lの2種類で価格は9240円。販売中。TEL03・6380・5855
(MSN)

太陽と月のコラボ

 宇宙に無数にある星々の中で、最も親しまれているのは太陽と月だろう。地球に恵みをもたらす太陽と、人類が地球以外で初めて降り立った天体の月。どちらも身近な存在だが、実は未解明の謎も多い。今年は日本で46年ぶりに皆既日食が訪れる。国産衛星による最新の観測成果や、米アポロ計画で月面着陸を果たした飛行士の証言を交えて、2つの天体を見つめてみよう。

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 輝く太陽が完全に欠け尽くし、ほの暗い天空に光の王冠を思わせる神秘的なコロナが浮かぶ-。今世紀最長の皆既日食が7月22日に、鹿児島県のトカラ列島など東シナ海の島々で観測される。部分日食なら日本全国で眺められる。太陽と月のコラボレーション(共演)による天文現象の概要と見どころを紹介しよう。

 ◆継続最長はトカラ

 月は地球の周囲を、地球は太陽の周囲を公転している。そのため、地上から見上げると、手前に位置する月に太陽が遮られて隠れてしまうことがある。これが日食だ。

 比較的多く起きるのが月と太陽の中心が重ならず、太陽の一部だけが欠けて見える部分日食。これに対して、太陽が完全に隠れる皆既日食や太陽の縁が輪のように見える金環日食では、両者の中心が重なっている。

 7月の場合、国内の大半の場所で観測されるのは、部分日食だが、鹿児島県の種子島南部、屋久島、トカラ列島、奄美大島北部などは皆既日食帯に入る。

 皆既の継続時間が最も長いのはトカラ列島の悪石島で6分25秒も続く。

◆「不思議な世界」

 皆既日食は視覚だけでなく、肌でも感じられるものらしい。2006年3月にトルコで皆既日食を観測した国立天文台天文情報センターの片山真人助教によると「次第に空が暗くなり、気温が下がって肌寒くなる。やがて太陽が黒く染まり、あたりも真っ暗に。遠くの空は夕焼けのように赤く、この世のものとは思えない不思議な世界が広がる」という。

 太陽の外層には100万度以上の大気のコロナがある。普段は太陽の輝きに隠されているが、皆既日食のときだけ肉眼で見える。

 片山さんは「黒い球の周囲に白っぽいコロナが放射状に広がり、実に荘厳な眺めだった。最大の見どころです」と振り返る。

 2番目の見どころは「ダイヤモンドリング」だ。皆既日食が終わると、太陽光が1カ所から漏れ、強く輝く。この光を宝石のダイヤモンドに、コロナを指輪に見立ててこう呼ばれる。

 楽しみはほかにもある。普段は夜しか見えない星の日中観賞だ。日食中は空が暗いので、金星が目視できるほか、オリオン座やおおいぬ座など、夏は日中に天に昇っている冬の星座も観察できる。

                   ◇

 皆既日食は、そのまま見ても大丈夫だが、部分日食は太陽光が強いので、肉眼では危険だ。

 安全に観察するには減光フィルムが張られた「日食メガネ」を使えばよいそうだ。ネットなどで300円前後で販売されている。

 片山さんは「日本は国土が狭いので日食観察の機会は少ない。晴天を期待しています」と話す。次の皆既日食は、北陸や北関東で、26年後のことになる。
(MSN)

01月01日のココロ日記(BlogPet)

ココロ、最近ちょっと運動不足でちょっぴりおしりが垂れ下がってきちゃった……
hiromi-329-bbiqさんももしかして気づいてたりしますか……


*このエントリは、ブログペットのココロが書いてます♪

うるう秒

  新年の元旦はいつもより1秒長くなる。総務省と独立行政法人情報通信研究機構が、地球の公転・自転に基づく実際の時刻と世界標準時のずれを調整するため、2009年1月1日に1秒間の「うるう秒」を挿入するからだ。たかが1秒の話だが、株や外国為替などの金融取引では、わずか1秒の差が大損につながる可能性もあり、パソコンなどの時間調整には注意が必要だ。

  同機構が行う元旦の時間調整とはこうだ。1日午前8時59分59秒と同9時00分00秒の間に「8時59分60秒」を挿入する。うるう秒の制度は1972年に始まり、今回で24回目。前回は3年前の06年1月1日に同じく1秒を加算した。

   うるう秒が生じるのは、「セシウム原子の規則正しい電磁波を用いた原子時計の時刻(原子時)に対して、地球など天体の動きに基づく時刻(天文時)が遅くなってきているため」(同機構)という。原子時計の時刻は「数十万年に1秒」という精度の高さで世界標準となっているが、現実に存在し、人々が実感する時間は、天体の運行に基づく天文時というわけだ。原子時は1958年に世界標準と定められ、世界に約300台ある原子時計の平均値から、パリにある国際度量衡局が決定するという。日本には同機構に18台がある。

   原子時と天文時が一致しないのは、地球の自転速度は月や太陽の引力による海面の変調のほか、海洋や大気の動きなど、様々な自然環境の変化によって、天文時が徐々に遅くなっているためという。この原子時と天文時のずれを0.9秒以上にしないのが、うるう秒の役割という。

  うるう秒を決めるのは、「国際地球回転事業」と呼ばれる国際機関で、地球の自転・公転の変化を常時計測し、天文時と原子時の誤差を測っている。総務省と独立行政法人情報通信研究機構は、同事業の決定を受け、日本標準時(JST)の調整を行う。うるう秒の挿入は、もちろん世界一斉に行われる。ニューヨークは前日大みそかの午後7時、ロンドンは元旦の午前0時に1秒が補正される。

   では、元旦当日に必要な作業は何か。厳密に言えば、一般的な時計は午前9時の時報とともに1秒戻す必要がある。正確な時刻を維持する電波時計は時刻を自動補正する機能があるため、基本的に問題はない。ただし、電波時計の仕様によっては、自動補正の電波を受信するまでにタイムラグが生じる場合もあるという。インターネットでパソコンの時刻を合わせるサービスもあるが、元旦当日の午前9時過ぎはアクセスの殺到が予想されるという。
(nifty)

どうなる日本

 平成20年の日本経済は、9月の米大手証券リーマン・ブラザーズの破綻(はたん)を境に一変した。その後、わずか3カ月の間に誰も経験したことのない猛烈なスピードで経済指標が大幅に悪化。企業の減産や人員削減は、急激な変化に追い立てられ、歯止めがかからない。坂道を転げ落ちるどころか、真っ逆さまに落ち込む国内景気は、いつ底を打ち、回復に転じるのか。

 「リーマン・ショック」「ソニー・ショック」「トヨタ・ショック」。9月以降の日本経済は、まさにショックの連続だった。

 「100年に1度の大津波」の震源となったリーマン破綻は、世界の金融市場を一瞬でまひさせた。

 金融危機は実体経済に波及。日米欧に加え、急成長を続けてきた新興国にも及び、世界同時不況の様相を呈している。

 日本は昨年後半に戦後最長の景気回復が終焉(しゅうえん)し後退局面に入ったとみられているが、今夏の金融危機の当初は、「後退は短く浅い」との見方が大勢だった。しかし、輸出の急激な落ち込みで、生産が低迷し業績が悪化。雇用や賃金へと波及し消費が冷え込み、その結果、売り上げが落ち込み業績が悪化するという“負の連鎖”が加速し、楽観シナリオは吹き飛んだ。

 トヨタ自動車が21年3月期に創業以来初の営業赤字に転落し、ソニーが全世界で1万6000人ものリストラに踏み切るのは、外需依存の日本経済の弱点を象徴している。

 21年の国内景気はどうなるのか。誰も経験したことのない超高速の後退のため、予測も大混乱している。

 日銀の金融経済月報は、当面の景気見通しについて、11月25日時点では「停滞色の強い状態が続く」としていたが、12月22日には「厳しさを増す」へとわずか1カ月で大幅な修正を余儀なくされた。

 12月19日に発表された21年度の政府経済見通しも、実質GDP(国内総生産)成長率が0・0%となったが、「達成は到底不可能で目標や希望に過ぎない」(民間エコノミスト)との見方が大勢となっている。

 第一生命経済研究所はリーマン破綻直前の9月12日時点で、21年度の成長率を1・5%と予測していたが、10月17日に0・3%、11月19日にマイナス0・5%、12月10日にはマイナス1・1%と立て続けに下方修正した。

 同研究所の新家義貴・主任エコノミストは「10月以降の景気は、9月以前と姿がまったく変わった」と指摘。「景気調整は軽微にとどまる」とした従来シナリオを維持できなくなった理由を説明する。

 大和総研も9月12日時点の1・1%から11月20日にマイナス1・0%に修正。三菱総合研究所は11月18日のマイナス0・2%から12月9日にはマイナス0・4%へと引き下げており、21年度はマイナス成長予測が共通認識となっている。

 回復時期についても、第一生命経済研究所では「21年10~12月期にマイナス成長から脱するが、プラス1%台の潜在成長ペースに復帰するのは22年4~6月期になる」としており、今回の景気後退は長く厳しいものとなる可能性が高い。
(nifty)

天璋院 / 篤姫

天璋院 / 篤姫(てんしょういん / あつひめ、天保6年12月19日(1836年2月5日) - 明治16年(1883年)11月20日)は、江戸時代後期から明治の女性で、薩摩藩島津家の一門に生まれ、島津本家の養女となり、五摂家筆頭近衛家の娘として徳川家に嫁ぎ、江戸幕府第13代将軍徳川家定御台所となった人物である。

実父は薩摩藩主島津家の一門・今和泉領主・島津忠剛。母は島津久丙の娘・お幸。薩摩藩9代藩主・島津斉宣の孫。

幼名・一(かつ)。本家当主で従兄・島津斉彬の養女になり本姓と諱は源 篤子(みなもと の あつこ)に、近衛忠煕の養女となった際には藤原 敬子(ふじわら の すみこ)と名を改めた(この際に篤の名は君号となり、篤君(あつぎみ)」となった)。

誕生と輿入れ

天保6年12月19日(1836年2月5日)、鹿児島城下に生まれる。嘉永6年(1853年)、従兄である薩摩藩主・島津斉彬の養女となり、同年8月21日に鹿児島を陸路出立し熊本を経由して江戸藩邸に入る。安政3年(1856年)に右大臣・近衛忠煕の養女となり、その年の11月に第13代将軍・徳川家定の正室となり、年寄の幾島を伴って大奥に入った(輿入れの経緯・詳細については後述)。なお、家定に嫁いで以降、生涯を通して故郷・鹿児島に戻ることは無かった。

波乱の大奥

しかし安政5年7月6日(1858年8月14日)に家定が急死し、同月16日(8月24日)には斉彬までもが死去してしまう。篤姫の結婚生活はわずか1年9ヶ月であった。家定の死を受け篤姫は落飾し、戒名は天璋院殿従三位敬順貞静大姉、通称天璋院と名乗る。同年12月、従三位に叙位。

家定の後継として、家定の従弟で紀州藩主だった徳川家茂が14代将軍に就任することとなった。その後さらに幕府は公武合体政策を進め、文久2年(1862年)には朝廷から家茂の正室として皇女・和宮が大奥へ入る事になる。薩摩藩は天璋院に薩摩帰国を申し出るが、天璋院自身は拒否して江戸で暮らすことを選んだ。

和宮と天璋院は「嫁姑」の関係にあり、皇室出身者と武家出身者の生活習慣の違いもあってか不仲だったが、後には和解したと言われる。このあたりの事情について勝海舟が『海舟座談』で述べている。また、天璋院が自ら擁立する予定だったにも関わらず、第15代将軍・慶喜とも仲が悪かったことが勝の談話などからうかがえる。慶応2年(1866年)の慶喜の大奥改革に対しては、家茂の死後「静寛院宮」と名乗っていた和宮と共に徹底的に反対している。

慶応3年(1867年)に慶喜が大政奉還をするも、その後に起きた戊辰戦争で徳川将軍家は存亡の危機に立たされた。その際、天璋院と静寛院宮は、島津家や朝廷に嘆願して徳川の救済と慶喜の助命に尽力し、これを実現した。そして、江戸城無血開城を前にして大奥を立ち退いた。慶応4年(1868年)4月に新政府から従三位の位階を剥奪されている。

明治維新後

江戸も名を東京に改められた明治時代。鹿児島に戻らなかった天璋院は、東京千駄ヶ谷の徳川宗家邸で暮らしていた。生活費は倒幕運動に参加した島津家からは貰わず、徳川家からの援助だけでまかない、あくまで徳川の人間として振舞ったという。

規律の厳しかった大奥とは違った自由気ままな生活を楽しみ、旧幕臣・勝海舟や静寛院宮(和宮)とも度々会っていたという。また、徳川宗家16代・徳川家達に英才教育を受けさせ、海外に留学させるなどしていた。

明治16年(1883年)11月13日、徳川宗家邸で脳溢血で倒れる。意識が回復しないまま、11月20日に49歳(満47歳9ヶ月15日)で死去した。死後、新政府から従三位の位階を再び贈られている。

墓所は、徳川将軍家の菩提寺である上野の寛永寺。夫・家定の墓の隣に埋葬されている。

家定との縁組について、将軍継嗣問題で一橋派であった斉彬が天璋院を徳川家へ輿入れさせて発言力を高め、慶喜の次期将軍を実現させようと考えたとする見方がこれまでは一般的であった。しかし、大奥より島津家に対する縁組みの持ちかけは家定が将軍となる以前からあり、芳即正の研究以降「島津家からの輿入れ構想と将軍継嗣問題は無関係である」とするのが定説となっている。

大奥が島津家に縁組みを持ちかけた理由として、家定自身が虚弱で子女は一人もいなかったこと、家定の正室が次々と早死したため大奥の主が不在であったことから、島津家出身の御台所(広大院)を迎えた先々代将軍・徳川家斉が長寿で子沢山だったことにあやかろうとしたものと言われる。また、島津家側の理由としては、広大院没後の家格の低下や琉球との密貿易問題などを将軍家との姻戚関係を復活させることで解消しようとしたと考えられる。

斉彬が天璋院を養女にしたのも、健康体であった天璋院を家定へ輿入れさせることを想定してのことである(篤子の名も広大院にあやかったもの)。しかし、薩摩藩主の実子であった広大院と比較して天璋院自身は島津家分家の出身であり、一橋派大名からも「御台所としては身分があまりにも低すぎる」と言う懸念の声があったと言う。 そのため、斉彬は天璋院を養女とした際に幕府へは実子として届出をしている。

嘉永7年(1854年)11月に、既に大石寺に帰依していた八戸藩主・南部信順(のぶゆき・島津重豪の十男)の強い勧めにより斉彬とともに大石寺(現在の日蓮正宗総本山、静岡県富士宮市)に帰依し、同塔中遠信坊再々興に貢献した。また家定の死後には万延元年3月15日〜4月5日(1860年4月5日〜5月25日)までの51日間、常泉寺に在住していた大石寺第51代法主・日英上人をして1日12時間(4時間×3回)の唱題祈念を行なっている。また、薩摩藩江戸藩邸奥女中小ノ島(篤姫入興後密偵役を務めた)の墓は、同じく日蓮正宗妙縁寺にある。

平成20年、東京学芸大学の教授により篤姫の駕籠が発見された。場所はアメリカ、スミソニアン博物館。その駕籠には、篤姫だけが使用したとされる「双葉葵唐草」の模様と篤姫の実家である近衛家の家紋「近衛牡丹」紋および「三つ葉葵」紋が散りばめられている。

明治維新後は、自分の所持金を切り詰めてでも元大奥関係者の就職・縁組に奔走していた。そのため、死後に確認された所持金は3円(現在の6万円ほど)しかなかったという。

徳川家達の子供達によると、天璋院は「第14代将軍・家茂の急死は慶喜の手のものによる毒殺」と信じており、幼い家達にこのことを語り伝えるよう言っていたという。

2008年のNHK大河ドラマ『篤姫』では小松帯刀と共に過ごすシーンが多くあったが、両者の接点を記す史料は確認されていない。

愛犬家であり、結婚前には狆を多数飼っていたが、夫・家定が犬嫌いだったため大奥入り後は猫(名はサト姫)を飼っていた。その猫の費用は25両/年。ちなみにその猫の世話は、大奥を統轄していた御年寄・瀧山の姪にあたる大岡ませ子が担当していたそうだ。

日本人として初めてミシンを扱った人物と言われている。因みにミシンを贈ったのはペリー提督だという説が一般的である。

(Wikipediaより)

ニャン目線

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ガジェット:Uncle Milton社の「Pet's Eye View cam」は、低解像度で一定時間間隔でシャッターを自動的にきるカメラで、犬や猫の首輪に取り付けてペット目線でペットの生活を覗いちゃおうというもの。

値段:40ドル。

評決:まぁ、ペットの社会生活を知るのは面白いです。でも、これはペットよりも、野生動物や社会の規律を乱す悪者に取り付けたらいいのかも。
(MSN)

あったかそう・・・

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樹木の洞(うろ)で体を休めるつがいのエゾフクロウ=北海道江別市の野幌森林公園で2008年12月22日、近藤卓資撮影
(YAHOO!JAPAN)

新聞には書けなかった名言集!?

 芸能界は年末年始の準備に大忙し。今年もあとわずかながら、まだまだ話題には事欠かない。有名人が思わずもらしたホンネ、つぶやき。忘れ去るにはもったいない名言を-。

☆「韓国ではよくあること」☆

 石原真(NHKチーフ・プロデューサー)

 12月19日

(紅白歌合戦の曲目発表会見。出場する東方神起の曲が韓国で有害指定を受けたことを質問されて)

☆「足袋をはくか、靴をはくかが問題」☆

 12月16日

 野村萬斎(狂言師)

、(自らが主演、演出する舞台「六道輪廻」の製作発表で。古典と現代との融合劇で、どんな衣装を使うかについて)

☆「思いっきり戦いてぇと思います。姉がプロレスで戦ってるもんで」☆

 林家正蔵(落語家)

 12月18日

(来年1月3日に行われるNHK教育番組50周年記念特番「クイズ・学ぶ冒険」の取材で。クイズ対決に臨む意気込みを姉・泰葉の暴走にかけて)

☆「あっ、私はいつかは結婚したいです」☆
佐藤仁美(女優)

 12月18日

 (1月5日スタートのフジテレビ系昼ドラ『非婚同盟』の会見で。“非婚の女王”という役だが…)

☆「マルちゃん、がんばるぅ」☆

 マルシア(歌手・女優)

 12月17日

(来年3月に日本初演されるミュージカル「ニュー・ブレイン」の製作会見で。意気込みについて)

☆「パパちゃんもがんばります」☆

 パパイヤ鈴木(ダンサー・俳優)

 同上

(同上。マルシアの発言に続いて)

☆「お兄ちゃんもやってるぞ、というのがテーマ」☆

 本間ひとし(俳優)

 同上

(同上。弟は俳優の本間憲一。「弟の方が自分より知られている」との発言の後で)

☆「昭和のにおいがプンプンする福太郎君ですね」☆

 渡辺満里奈(タレント)

 12月16日

 (1月4日にテレビ朝日で放送される第5回子育てスペシャル『福太郎!~寺町の大きな家族~』の会見で。自身も1歳になる男児の母。番組ではナレーターを務めるが、前髪を切り揃えたやんちゃな福太郎君を見て)

☆「日本でヒットチャートの上下を意識することの素晴らしさと愚かさの両方を知ってしまいましたからね。素晴らしい面だけを見続ければいいんでしょうが…」☆

 KAMIJO(『ヴェルサイユ』のリーダー)

(最新作がオリコン上位に入ったことについて、クールに)

☆「グスターボ・ドゥダメルの魅力? 全部よ」☆

 マルタ・アルゲリッチ(ピアニスト)

 12月17日

(シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラの来日記者会見で。同楽団音楽監督でロサンゼルス・フィル次期音楽監督に就任する風雲児、ドゥダメルの魅力を聞かれて)

☆「宇徳さん?! CD聴いて感動しました!」☆

 飯森範親(指揮者)

 12月11日

(正指揮者を務める東京交響楽団の演奏会後の楽屋をシンガー・ソングライターの宇徳敬子が訪ねた際)
(MSN)

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