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文化・芸術

乙女の祈り

テクラ・バダジェフスカ=バラノフスカ(Tekla Bądarzewska-Baranowska)は、ポーランド出身の女性作曲家・ピアニスト。生年を1834年とする説と1838年とする説がある。日本では一般に、テクラ・バダジェフカとして知られるが、ポーランド語に近い表記はボンダジェフスカである。また、バダルジェフスカと表記されることもある。

バダジェフスカは、本格的な音楽教育は受けていないが、18歳(17歳とも)の時に作曲した『乙女の祈り(仏語:La prière d'une vierge)』がパリの音楽ニュース雑誌に掲載され、世界中にその名が知られるところとなった。この曲を作曲したのち、結婚し5人の子供をもうけたとされる。そのほか小品を35曲ほど作曲したのち、1861年に27歳ほどで夭折。彼女に関する作品や資料については第二次世界大戦等により大半が消失したため、現在では『乙女の祈り』以外はほとんど知られていない。特にポーランドでは認知度が低い。これは「祈り」という言葉が、共産圏の影響下にあったポーランドで不適切とみなされたためである。しかし、日本においては『乙女の祈り』はオルゴール曲の定番として広く知られており、最近は逆に日本で知ったポーランド人などにより、認知度を高める活動などがされ、少しずつ再評価されてきている。その他の曲に『ピアノのための華麗な小品 かなえられた祈り~乙女の祈りへの答え(La prière exaucée) 』などがある。
(Wikipediaより)

シリン・ネザマフィ

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■日本人の文章?

 「窓から外を眺めながら、あくびを手で隠す。だるい。この時間、男子ブロックはイスラム教の授業を、そして先生不足のため、同じ部屋の片側に集められている下の学年の女子は数学の自習をやっている。自習の時間はいつもだるい。

 なにより部屋の空気の重苦しさがだるさを増す。口を大きく開け、肺いっぱい分の酸素を吸い込んだ。八十人も閉じ込められているこの小さな部屋では窓の近くに座っていても、吸い込める酸素が足りない」

 日本人が書いたと言われれば、誰もがそう思うのではないだろうか。違和感なく日本語の文章として頭にスッと入ってくる。

 だが、実は筆者はイラン人のシリン・ネザマフィさん(29)。日本に滞在して約10年になるシステムエンジニア。これは『白い紙』のある一節から取ったものだ。漢字、ひらがな、カタカナの表記がある日本語の読み書きは外国人には難しいとされる。

 近年の文芸賞は、実力や作品の巧拙だけでなく、キャラクター勝負だったり、ルックス勝負といった話題づくりの面は感じないわけではない。外国人という流れも一つにはある上に、クッキリとした目元、日本人にはない鼻の高さ、各々のパーツが小さな面積の顔に収まり「美女」と形容されるルックスも受賞を後押ししたかもしれない。

 それでも純文学の最高峰・芥川賞候補になったことは注目すべき出来事だった。今にいたるまでを聞いた。

■漢字を使わない国から来たエキゾチック美女

 「芥川賞候補にイラン人女性」。

 そんな見出しが今年7月に日本の新聞をにぎわせた。受賞すれば、史上初の漢字を使わない国出身者ということになる。それだけ、ニュース価値が重たいと判断されたということだ。

 異色の芥川賞候補も来日は約10年前だった。日本語学校から神戸大学へ。そして、パナソニックに就職。だが、そもそもなぜ日本に来ることになったのか。

 「小さい時から、とにかく文章を書くのが好きでした。小学校に入る前から、思いついては何かを書いていました。書いては両親や家族に見せていましたね。日本に来るきっかけは、日本に留学して勉強した友人から色々ないい話を聞いていたからです。文化や色々なものに興味を持つようになって、いつか自分も留学できればと思っていました」

 だが、本格的に日本語を学んだわけでもなく、まったく文化も風習も違う中東のイランから日本での生活はコミュニケーションなどで苦労をしたのではないのか。

 「日本人は何にでも一生懸命取り組むし、他人に対しても親切だと聞かされていました。でも、本当に恥ずかしがり屋で、なかなか日本人の友達を作ることができませんでした。外国人で日本語も覚えられないのはマズいと思い、勉強に励むようになりました。でも、日本語は難しくて。ある外国人の友達が、TVを見ていました。バラエティー番組などもよく見るようになると自然と理解できるようになってきました」

 確かにそうかもしれない。今の日本のTVはよく見ると、日本語の番組なのに、字幕スーパーが出ることがたびたびある。外国人が日本語を勉強するにはとても便利なツールだ。そうするうちに、物書きとしてインスピレーションを受ける出来事に出会った。

■通訳の目を通して見たもの

 日本語がまだ不自由な外国人が、自分の書いた文章が良いかどうかなど判かるはずもない。人間だれしも、右も左もわからない環境に置かれた場合、まずは良い指導者を見つけるということは大切かもしれない。

 「学校のことや生活のことを相談に乗ってくれる先生(教授)がいて、自分が書いた文章を見てもらったりする方を紹介してくれました。最初は人に見せるには恥ずかしいような内容も多くあったのですが、色々とアドバイスしていただき、苦にせず日本語の文章が書けるようになっていきました」

 そして、創作の発芽となったのは、アフガニスタンの難民を通訳する機会だった。これが、「日本では決して描かれることのない世界を伝えたい」「書かなくては」との思いが、ネザマフィさんの日本語をより早く上達させたのかもしれない。

 その思いが処女作の「サラム」の基になったようだ。「留学生文学賞」に応募し、その結果最高の賞を受けることができた。「びっくりしました」と当時の喜びは今でも驚きとともに忘れないという。

 そこから『白い紙』へと続いていく。

■「有言実行」こそ成功の鍵

 イラン人のネザマフィさんが好きな日本の言葉に「有言実行」という四文字熟語がある。幼い時から物語を作るのが好きだった。「いつかは…」という思いを日本に来てからも持ち続けて、そして日本語という形で発表することができた。

 「サラムを書いた後も、何か日本の人々が知らないような世界を書いてみたいとずっと思っていました」

 『白い紙』に日本人はまったく登場しない。戦火のイランを舞台に高校生が主役となっている。正直、日本でウケるネタとは思いにくい。ただ、『サラム』『白い紙』は主人公はいるのだが、不思議なことに主語がない。母国語のペルシヤ語でも使わない手法だという。これは読者に感情を移入してもらいやすくするため、という配慮からだ。心憎い演出を外国人にやられるとは、不思議な感覚だ。

 最後まで「努力」や「苦労」などは語らないネザマフィさん。「有言実行」を形にする人は、やはりそんな人なのだ。現在もパナソニックで働きながら、創作活動を続けている。次回作がどこが舞台のどんなストーリーになるのか、今から楽しみになってくる。
(ゆかしメディア、nifty)

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